他者体調事象群集心理
・「肉をたべることは原罪であり、その罪からめを背けることは偽善でありごうまんだ」との意見については、ごかいによるものではないでしょうか。ベジタリアン自身もいきていくうえでたしゃの命をうばっているという矛盾を抱えてくつうをかんじています。ごかいとうよろしくおねがいします。竹田あお嗣さんたけだあお嗣さんのげんしょうがくのにゅうもんしょなどをよむと、いまむらひとしや廣松わたるなどちょめいなせんせいがたをひはんしていますが、御本人の方はどのように評価されているのでしょうか?にっぽんの傑出したきりすときょうがくしゃと言えば誰?近・げんだいにおけるにっぽんのけっしゅつしたイスラームがくしゃといえば井筒俊彦。近・げんだいにおけるにっぽんのけっしゅつしたぶっきょうがくしゃといえばなかむらげん。いのちは大事であるというぜんていそのものが、感情論にすぎないからといって、否定されるべきとはいえないのとおなじことです。ベジタリアンといういきかたをひはんするかんがえで、説得的・論理的なものにであったことがありません。ベジタリアンをひはんする。 また、どうぶつを生産する過程でそのすうばいの植物をしょうひするため、動物をたべたからといって、植物のいのちをだいじにしたことにはなりません。ころしたくない者がなるべく殺さないようにすることのどこにぎぜんやごうまんがあるのでしょうか。・「どうぶつの命を大事にすべきというのはかんじょうてきだ」とのいけんについては、いのちのかちをろんじるにあたって、主観をはいじょすることはふかのうであって、感情論であることはひはんにならないとおもいます。いかのひはんはせっとくてきでないと思われます。もしくはすずきたいせつ。・「しょくぶつもどうぶつもおなじ命であり、びょうどうに同じように食べるべき」とのかんがえについては、おなじ命であるからといって、そのかちがおなじであるとはかならずしもいえないとおもいます。花を折るのと動物をふみつけるのはおなじでしょうか。そこで、説得的な批判があればおしえていただきたいです。では、近・現代における日本のけっしゅつしたきりすときょう学者といえば誰でしょうか?しんこうめんで見ると影響がおおきかったのはうちむらかんぞうかな?とおもったのですが学術的ないみでも特にひいでているのはだれでしょうか?せきがくと言うか…。かちのおしつけをするから、ぼうりょくてきだから、というイメージによるひはんはおさけください。
情報叶っ
にんげんのりそうが全てかなったときどうなりますか?宇宙とか寿命とかようしとか時代が進んでぜんぶわかってしりつくしてのうにすべてのじょうほうを保存してそれがみんなきんとうにえられるようになったらすごいけど。デジタルせいひん好きだからおじいちゃんにならずにわかいままずっとさいごまで進歩をみていたいんですけど。なったらなったでまたそれがあたりまえになってなんかみつけるんでしょうか?やっぱりぜつめつするまでそれをつづけるんですよね。
方記憶
みなさまの回答にせっしていたら、意識できるきおくと出来ない、あるいはしなくてよいきおく、についてしりたくなりました。しんじょう・しそうのお勧めの本じゅきょうのようなにんげんとしてのいきかたについてのべられたほんでお勧めのものをごきょうじゅねがいます。ぜんかい、かいとうしていただいたほう、またほかの方の知識がいただけたらうれしく思います。宗教的でないものでおねがいします。できれば現代的で体系づけられたしっかりしたものがよいです。ruehasさんのかいとうに、いしきするきおくとしない、あるいはできないきおくについての記事がありましたが、ぐたいてきなれいなどあげて説明してただけるとよいのですが。記憶というのうの働き、その2哲学のカテゴリーで、このタイトルのしつもんをしているので、さいどここで質問させてください。よろしくおねがいいたします。